「行動問題」より、連携のズレがしんどかった
支援の現場では、利用者の行動問題に向き合うことが多くあります。
他害、自傷、大声、拒否——どれも大変で、支援者にとって負担になることは間違いありません。
でも、実際に働いてみて思ったのは、
「本当にしんどいのは、支援者同士のズレや連携不足だった」ということ。
利用者の行動には“理由”があると割り切れるけれど、
人間同士の“わかり合えなさ”には、感情が残る。
それが、あとからジワジワと効いてくるような、モヤモヤの正体だった気がします。
止める支援ではなく、行動を“読み解く”支援へ
利用者Aさんには、他害行動のある場面がありました。
ある日、後輩職員がその行動を全力で止めていたのですが、その姿を見て、私は複雑な気持ちになりました。
もちろん、けがをさせたり、されたりしないことは最優先です。
ですが、行動の「目的」に着目する視点がなければ、支援とは言えないのではないか──そんな問いが頭をよぎったのです。
行動には必ず理由がある。
表現する言葉がないからこそ、行動で伝えようとしている。
それを制止だけで対応してしまえば、言葉を封じるのと同じことになってしまいます。
関係性がマイナスから始まったとしても、ゼロに戻すところから支援は始まる。
時間はかかっても、そこに向き合う姿勢こそが、支援者に求められる視点だと思うのです。
支援者間の“ズレ”が埋まらない理由
他害行動の背景を分析して共有することの重要性は、多くの支援者が理解しているはずです。
しかし実際の現場では、支援者同士での考え方のズレがしばしば問題になります。
そもそも現場には、話し合いをする時間も余裕もないのが現実です。
それでも時間を取って打ち合わせをしても、職歴・立場・価値観の違いから意見が食い違い、話が進まないということも多くあります。
「正解はどれか?」を探し続ける人。
自分のやり方に強いこだわりを持つ人。
そして、過去の経験からパターン化した対応しか取れなくなっている人もいます。
でも本当は、「何が起きたか?」を正確に見て、どう共有するかが求められているのではないでしょうか。
正解を持ち寄るより、“見たこと”や“感じたこと”を主語にする対話が、支援を深める第一歩だと感じます。
他責思考から自責思考へ――苦しみとの向き合い方が変わった
ある時期から、私は「どうしてあの人は分かってくれないのか」と他責的に考えるのをやめました。
「もしかしたら、自分の伝え方に原因があるのかもしれない」
そんなふうに、主語を“私”に変えて考えるようになったのです。
すると、状況が劇的に変わるわけではなくても、“見え方”が変わるようになりました。
「あの人のせいで」と苦しむのではなく、「私は何ができるだろう」と問い直せるようになったのです。
もちろん、苦しみが完全に消えることはありません。
けれど、苦しみが長引くことは減り、回復しやすくなった実感があります。
自責思考はつらいように思えますが、実はそのほうが楽になれる場面もあるのです。
支援に必要なのは「正解」よりも「共有」
現場ではつい、「正しい方法はどれか?」と答えを探したくなります。
でも実際には、状況によって最適解は異なりますし、支援者の得意・不得意も影響します。
大切なのは「何があったのか」を丁寧に共有すること。
「この行動の前に、何か気になる前兆があったか?」
「他の支援者が見たとき、どんなふうに映ったか?」
そうした視点の違いを持ち寄ることで、支援の質は高まっていきます。
答えを一つに絞るよりも、“事実”を言葉にして重ねること。
それが、支援チームとしての“足場”になるのだと思います。
ことばにならない葛藤を「わかってくれる誰か」と共有したい
言葉にできないモヤモヤは、ただの感情では終わりません。
支援現場でのすれ違いは、誰かの「わかってほしかった」に起因することが多いのです。
行動でしか伝えられない利用者の気持ちも、
言葉を持っているはずの支援者同士のすれ違いも、
本当はもっと“ことば”を必要としているのかもしれません。
ひとりで抱えずに、まずは話せる人と共有してみる。
それだけでも支援の視点が変わってくる——そんな経験、あなたにもありませんか?
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